MOTOYA CHANNEL

政治系ブロガーです。政治・経済・歴史・文化などのニュースについて、ほぼ毎日記事を投稿しています。

未分類

日本は天皇を中心とした国民国家である

投稿日:

五箇条の御誓文

1868年3月14日、五箇条の御誓文。

国体・国史・国語・国土を共有する国民による国家。

それが国民国家です。

欧州は19世紀にかけて国民国家づくりを進めていくわけですが、わが国は昔から国民国家でした。

それを改めて確認しつつ、欧米列強に負けない、強い国をつくりましょう、という宣言です。

廃藩置県

幕府は消えました。

天領は明治政府の支配下にあります。

しかし、藩はそのまま残っていました。

各藩を治める藩主もそのままです。

天皇を中心とした国民国家ですから、藩が残ったままでバラバラに行動するのでは意味がないわけです。

そこで、1871年7月14日、廃藩置県がなされます。

知藩事(要は元藩主)は強制的に東京に移住となり、代わりに明治政府の役人を送り込みました。

地租改正と徴兵制

また1873年、地租改正が行われます。

明治政府はやるべきことがたくさんありました。
しかし、政策を行うにはお金が必要です。

その財源を確保する必要があります。

これまで、米の収穫高に応じて税金が決まりました。
しかも、米そのものを納める形をとっていました。これでは、財源は不安定です。

そこで、地租改正により、税金は地価の3パーセントとし、お金で納める形に変更しました。これにより、現金で安定的な財源を確保しようとしました。

また、徴兵制も設けます。

これまで、税金も軍隊も各藩が勝手にやっていました。

しかし、先ほども指摘したように、各藩がバラバラに政策を行うと各個撃破されてしまうおそれがあります。

それを天皇の元の明治政府に統一する必要がありました。

それを地租改正と徴兵制で実現しようとしたのです。

琉球・清・朝鮮

誰のものでもないところは奪っていいという時代。
国境を確定させる必要があります。

例えば、琉球と朝鮮について、清国と話をつけに行きます。

1871年、日清修好条規を結びます。

当時、琉球は薩摩に服属しつつも、清国にも独自に朝貢していました。

日本と清国、どちらのものなのかをはっきりさせる必要があります。

1872年、琉球藩を設置。

ところで沖縄県民が台湾に漂着したところ、原住民に殺されてしまいます。

そこで、台湾が清国のものであるなら賠償金を支払え、と清国を問い詰めます。
答えて曰く、台湾は「化外の地」と。
つまり、責任をとる気はありませんということです。

では、明治政府としては勝手にやりますね、ということになります。

1874年、明治政府は征台の役を行い、制裁します。
泣き寝入りはしないということです。

最終的に、1879年に琉球処分を行います。

次に、朝鮮。

昔から、朝鮮は日本の安全保障に深く関わっています。

日朝修好条規を結びます。
よく、これは日本に有利な不平等条約で、朝鮮の人々に悪いことをした、と語られますが、嘘です。

なぜなら、不平等条約を押し付けないと、清国がヘソを曲げるからです。

ざっくり言えば、清国が一番偉い、朝鮮はその次、というランク主義。
日本は清国と対等条約を結びました。
そして、朝鮮とも対等条約を結ぶとどうなるでしょうか。
清国から見ると、朝鮮は自分の下のはずなのに、他国と対等に扱われたということになります。
相対的に清国が貶められたことになります。
清国のメンツが潰れます。

明治政府としては、これで別のイチャモンをつけてきたらたまらないわけですね。

もちろん、清国が一番偉くて、朝鮮はその次、日本はそれ以下、みたいなわからないランク主義を大事にしているほうがどうかしていると思いますけどね。

ところで、日本と朝鮮が条約を結ぶこと自体、朝鮮は独自に条約を結べる国だ、ということでもあります。

もし、朝鮮が変なランク主義から脱して、日本の明治維新のように近代化を進めて立ち直ってくれれば、日本としては助かるわけです。

もっとも、清国がそこまでわかっていたかどうかは知りませんが。

千島樺太交換条約

一方で、北ではロシアと話をつけます。

1875年、ロシアと千島樺太交換条約を結び、国境をはっきりさせます。

当時の日本から見て、ロシアは大国です。
なぜ領土問題で対等に渡り合えたのか。

実はこのとき、バルカン半島ですでにもめごとが起きていました。
すこし先の話ですが、1877年に露土戦争が起こっています。

つまり、ロシアはバルカン半島に足をとられています。

ここがチャンスだ、とつけこんだのです。

小笠原領有宣言

さらにさらに、英米とも対等にやりあいます。

1876年、小笠原領有宣言を行います。

当時、これらをめぐって英米と揉めていました。

ところで、英国については、清国においてロシアと揉めていました。
だからこちらに来れないだろうと。

そして、米国一国ならばなんとかやりあえるだろうと考えました。

このように、明治政府は欧米列強に対して対等に渡り合っていました。

気合だけで乗り切るのではなく、インテリジェンスをフル活用し、相手の強さ、弱み、そういうものを手玉にとりながら、渡り合ったのです。

参考文献

-未分類

執筆者:

関連記事

沖縄知事選、玉城氏と佐喜真氏が互角の戦い。美しい島は地元の人々の日常の上になりたっている

どうも、MOTOYAです。 選挙の話題が続きます。 今回は沖縄知事選の選挙情勢にかんする情報が入りましたので、これを題材に考えていきましょう。 目次1 玉城氏、佐喜真氏、互角の戦い2 激しい選挙戦3 …

【悲報】朝日新聞がついにネトウヨという言葉を使いはじめる

どうも、MOTOYAです。 朝日新聞は、もはや2ch並みの語彙しかないのでしょうか。 目次1 朝日新聞、ネトウヨという言葉を使いはじめる2 お金もらって文章書いているのにそれでいいの?3 読者もこれで …

インド最高裁、同性の性行為は合法と判決を下す

どうも、MOTOYAです。 今回はインドの最高裁が下した、とある判決についてです。 目次1 インド最高裁、同性の性行為は合法と判決2 そもそも違法だったことに驚き インド最高裁、同性の性行為は合法と判 …

no image

KAZUYA CHANNELのアカウントがBANされたことについて思うこと

どうも、MOTOYAです。 昨日の朝起きて気がついたら、KAZUYA CHANNELのアカウントがBANされていました。 これには大変驚きました。 思えば僕は、かなり昔からKAZUYAさんの動画を見て …

チャイナ、日本のODAを評価。本当に日本の利益になったのだろうか

どうも、MOTOYAです。 チャイナが先進国なのかどうかは議論があると思いますが、上海とか香港とかを見るとかなり発展しているように感じます。 また、尖閣諸島をはじめ、南シナ海などでの軍拡を見ると、ずい …

簡易プロフィール

どうも、MOTOYAです。

政治・経済などのニュースに関する記事をほぼ毎日投稿しています。

よろしくおねがいします。